特定非営利活動法人 自立生活センターSTEPえどがわ 理事長 今村 登さん

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インクルーシブ社会への実践者たち

今号の特集では、自ら障害を持ちながらも真の共生社会を目指して実践するお二人の方々に登場していただきました。
そのバイタリティの源とは?

当事者として障害者の自立支援に従事

「自分が障害者になるまで、駅にあるエスカレーターを見て、あんなものに頼るから足腰が弱ると思っていて、必要な人がいるという発想もなかったんですよ」と当時の心情を振り返る今村登さん。
今村さんは、29歳の時に不慮な事故により頸髄を痛め、車椅子ユーザーとなり、現在は、自立生活センターSTEPえどがわの理事長として、障害者の自立支援に従事する。また、DPI全国組織で事務局次長を務め、障害者施策に関する政策提言等を行い、見えてきた問題を切り口に、他分野の人たちともつながりをつくり、自立生活運動に精力的に取り組んでいる。
長野県で、祖父母、両親、姉二人の7人家族の末っ子として育った今村さんは、代々女系家族で、幼いころから女性には逆らってはいけないと叩き込まれて育ったんですと笑って話す。運動が大好きな今村さんは、大学は順天堂大学体育学部健康学科に入学することになり、東京に上京することとなった。大学卒業後は日産スポーツプラザ(株)(現:コナミスポーツ本社)に就職し、利用者のトレーニングサポートとデスクワークを務めていた。
職場で、日体大の体操競技部の主将を務めていた奥さんとの出会いがあり、婚約者として実家の両親に紹介した後、今村さんが子どもの頃によく遊んでいた場所で、堤防を駆け降りる遊びを久しぶりに試みた際に、止まり切れずに正面に壁が迫り、顔面衝突を避けようと前転したところ、後頭部から壁に衝突し、首の骨の粉砕骨折という大怪我となり、頸髄を損傷したという。

地元の病院に13か月入院し、その後、埼玉にある日本でトップクラスと
言われていた病院でリハビリを受けるが、今村さんのイメージしたリハビリとは全く違ったものであり、行動にも制限をかけられた生活だった。
今村さんは、日本のリハビリとはこんなものだったのか、と愕然としたそうだ。

障害者の自立の考え方を大きく変えた渡米

インターネットもない時代、今村さんは図書館に通い、必死に情報を調べる日々が続いた。そんなとき、アメリカでトップレベルのリハビリ病院の視察を行う一週間のツアーを見つけ、応募。今村さんは、リハビリに対する考え方が日本とは全く違うことに大きな衝撃を受けた。
日本では、今の体では車の運転はできないと一切やらせてもらえなかった。でもアメリカでは違う。「あなたがやってきたことはできます。やり方が変わるだけです。だからあきらめないで」カルチャーショックを受けた今村さんは、再び渡米し、3か月を過ごした。アメリカでのいろいろな人との出会いは大きな刺激になった。

Profile

特定非営利活動法人 自立生活センターSTEPえどがわ 理事長
今村 登(いまむら のぼる)さん

1964年長野県生まれ。1987年順天堂大学体育学部健康学科卒業。日産スポーツプラザ(株)(現コナミスポーツ本社)に就職。29歳の時に不慮の事故により頸髄を損傷し、車椅子ユーザーとなる。「どのような障害があっても、自己選択、自己決定、自己責任のもと自立生活を送れるようにすること」を目指し、2002年特定非営利活動法人自立生活センターSTEPえどがわを設立、現在、同団体理事長。全国自立生活センター協議会(JIL)副代表、DPI日本会議事務局次長も兼任し、障害者施策に関する政策提言等を行っている。

アメリカ発祥の自立生活センターに共鳴

自立とは何か?を問われたとき、多くの人は、身辺的自立(着替え、トイレ、自炊など、自分の身のまわりのことは自分でできる様になること)と、経済的自立(自分の稼ぎで生活できること )を言うだろう。
果たしてそうなのか。
今村さんの事務所には、自身も重度の障害者であるアメリカのエド・ロバーツがつくった自立生活の3原則が飾られている。それは「自己選択、自己決定、自己責任」である。この理念を元に障害者自身が運営する自立生活センター(Center of Independent Living)がアメリカに発足したのは1972年、日本には1986年に伝わった。その後、同センターは東京西側の多摩地区を中心に、都内にも広がっていったが、江戸川にはまだなかった。今村さんは、江戸川区に「自立生活センター」をつくる意思を固め、同じ志をもつ障害者夫婦と、埼玉の病院から御世話になっていた看護師さんに声をかけ、4名で「NPO法人STEPえどがわ」をスタートさせた。障害者が障害者の役に立つことをやりたいという想いからである。

インクルーシブ社会をつくること

「STEPえどがわ」では、「自己選択、自己決定、自己責任」&「依存」の理念のもと、ピアカウンセリング、自立生活プログラム等を通して、障害者も社会に必要な存在であるという自己肯定感を高め、自立生活を精神的な側面から支援している。また、理念に共感したヘルパー育成と派遣も行っている。
今村さんに、今の仕事を通してのやりがいを伺うと、まだ数は少ないが利用者が入所施設や親元から自立できた時は本当に嬉しいと笑顔で話してくれた。

職員の方と打合せの様子

今村さんは、全国組織のDPI日本会議、全国自立センター協議会で、分け隔てないインクルーシブ社会の実現を目指して活動に励んでいる。
例えば、東海道新幹線では、一般の人はグリーン車も自由席も選べるし、窓際席も選べるのに対し、車いすユーザーは選択肢がない。車いすユーザーだって外が見たいのだ。運動の結果、当初2席しかなかった車いす席は、新基準では6席になり、窓際席も選べるように変わった。
今後の課題を尋ねると、どんな重度の人でも、本人にとって必要なサービスが認められること、お店などにスロープがあるのはあたりまえであってほしいし、聴覚障害のある人への情報保障や、視覚障害、知的障害のある人に対するガイドヘルプの充実も必要だと思う。介助や介護を家族に頼ることを強いてしまうために起こる老々介護やヤングケアラーの問題も社会全体で取り組むべきだろう、と今村さん。

現在、今村さんは、奥さんと二人暮らしだが、「私の介助はヘルパーが担ってくれるため、彼女は彼女でやりたい仕事をずっと続けながら好きな事ができているんです」と、その理想的な暮らしを語る。
「障害者も、その家族も、自分たちのやりたいことができて余裕のある暮らしができるように、もっともっと誰もが支え合える社会になってほしい」
今村さんの穏やかな話し方と優しい笑顔はとても印象的だ。これからのさらなる活躍を応援したい。

ナクセイバー(小学校出前事業)

「差別」を「ダンサ」という言葉に置き換え、「誰もが、行きたいところへ、行きたいときに、行けるまち」を目指した活動が「ダンサなくし隊」。
子どもたちにも関心を持ってもらうために、ダンサナクセイバーを前面に押し出した出前事業を2021年より行っている。

自立生活体験ルーム 「Yattemi-Na(やってみ~な)」

障害者が、「自己選択」「自己決定」「自己責任」のもと、地域内にあるマンションで実生活体験ができる。医療機関や親元での管理下では体験することのなかったことにもチャレンジし、自立生活を目指す。

DPI(Disabled Peoples’ International)日本会議

障害者の権利の実現を目指す運動を通して、全ての人が希望と尊厳をもって共に育ち、
学び、働き、暮らせるインクルーシブな社会を目指す。

宿泊避難訓練

一昨年は、山梨県北杜市の清里にある廃校の体育館、昨年は、市川市にある千葉商科大学の協力で実施した、集団広域避難のシミュレーション。

特定非営利活動法人
自立生活センターSTEPえどがわ

2002年5月に江戸川区在住の障害を持つ当事者が中心となって「自立生活センターSTEPえどがわ」を設立。同年11月、特定非営利活動法人となる。障害当事者が障害者に自己の経験から得た知識や生活技術を伝え、地域で暮らすための様々な方法を提供する。また、地域住民を巻き込んだ住民参加型の催しを企画し、その活動を通じてより暮らしやすい街づくりに寄与する事を目指している。

〒133-0065
東京都江戸川区南篠崎町3-9-7
TEL:03-3676-7422 
FAX:03-3676-7425

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